「IBA世界ランキング12位。日本人最高位」これは私にとっては最高の自己実現です。 スポンサーの皆さんがチャンスを与えてくれたのです。 16年前の私が世界に飛び出して、世界の選手と戦うことなんて思いもよりませんでした。 私一人の力ではここまでこられなかったはずです。 私がここまでこられたのは、家族、夫、サポートしてくれている方々、スポンサーの方々、応援してくれている世界中の 友達のおかげだと思っています。
私は小さい時、補聴器をつけることが大嫌いでした。けれども母は大変厳しい人でした。 私が嫌がって補聴器を取ると、母がいちいちそれに気付いて補聴器をつけ、また外してつけて・・・の繰り返しでした。 しかし母は、どんなに私が嫌がっても、決して諦めず、私に補聴器をつけ続けました。補聴器をつけずに、手話で難聴者と だけやりとりする生活は、静かで平和で、傷つくことのない世界かもしれません。 私にメールを送ってくる難聴者のお母さんの中にも「自分の子供には無理して補聴器を使わせず、聾唖の世界で生きて いかせた方がよい」とおっしゃる方もいます。 けれども私の場合は、母の努力がなければ、こんなふうに話すこともできなかったし、プロボディーボーダーにもなって なかったと思っています。補聴器をつけることで私の人生は大きく変わったのです。 今になって振り返ると「あの時補聴器をつけて本当によかった。あのときに無理をしてでも補聴器をつけさせてくれて ありがとう」 と心から思います。 子供ってすごく純粋だから、耳に音が入ってきたら、自然に受け入れ、何の違和感もなく聴き入るものだと思うのです。 お子さんは自分の思で選べない。だからこそ、無理をしてでも補聴器をつけて、音を聴くことにトライしてほしいのです。 そして音を聴くということを経験した上で、補聴器をつけるかつけないかは本人に選択してほしいのです。 私は、今、補聴器をつける事によって、たくさんの発見や喜びを得ました。 わずかな聴力でも「聴くことができてよかった」、そう思うのです。 もしも小さい時に補聴器をつけていなかったら、大人になって補聴器をつけなかったかもしれません。
プロボディーボーダー甲地由美恵さんプロフィール 1975年 堀(旧姓)由美恵 10月4日 東京都大田区にて誕生 1975年 2歳で両耳の聴力を失う。 1976年 3歳でリオネットセンターにて初めてリオネット補聴器に出会う 1979年 大田区立久原小学校入学(低学年の午後のみ、障害学級に通う) 1985年 大田区立久原小学校卒業 1988年 大田区立大森第十中学校卒業 1991年 私立東京高等学校卒業 1991年 伊豆白浜で住み込みのバイトをして、ボディーボードと出会う 1994年 インテリアカレッジオブアーツ専門学校卒業 1994年 小笠原父島で、住み込んでの修行 1995年 八丈島での修行 1998年 千葉県東浪見のアーゴクラブハウスに移り、さらなる経験を積む 2002年 千葉県一宮町を拠点とする 2006年 リオン(株)とスポンサー契約を結ぶ 2007年 現在に至る
現在、甲地由美恵さんが出演するリオネット補聴器のCMが放送中です。